「for Smullyan」
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柏書房『kaze no tanbun 特別ではない一日』収録
この作品が陽に主張するのは、小説に書いてある通り、「真だが、印刷出来ない小説が存在する」(=「存在するが、提示出来ない物語が存在する」)
しかし、この主張は「真だが印刷出来ないような“小説”は小説ではない」と等価
ラッセルのパラドックスが$ \{ X | X \notin X \}なるXは集合ではないと結論するのと等価
十分な強さをもつ形式的体系のいずれにおいても、そこで証明出来ない真である算術の文が存在する。
“十分な強さをもつ形式体系”であるために必要な条件は、その体系が
1. その言語で算術が表現出来る
2. ペアノ算術を含む
3. 矛盾を含まない(無矛盾律)
なお、これよりも弱い条件でも第一不完全性定理は成り立つ
ペアノの公理によって定義される算術
ペアノの公理
1. 自然数0が存在する
2. 任意の自然数aにその後者(successor)であるsuc(a)が存在する
3. 0はいかなる自然数の後者でもない
4. 異なる自然数は異なる後者を持つ
5. 0がある性質をもち、aがある性質を満たせばその後者suc(a)もその性質を満たすとき、すべての自然数はその性質を満たす(数学的帰納法) ゲーデルの第一不完全性定理の証明
nはゲーデル数mをもつ文Sの理論θでの証明のゲーデル数であり、$ Pr_{\theta}(n,m)と書く。
$ \exist x Pr_{\theta}(n,m) \equiv Prov_{\theta}(m)
$ \bar{E}は表現Eのゲーデル数。
φ(x)をxのみを自由変項としてもつθの言語Lの式とすると、$ D \leftrightarrow \phi(\bar{D})がθで証明出来るような式Dが存在する。
θで証明出来ないという性質$ \lnot Prov_{\theta}(m)はLで表現出来るので、対角化定理より、$ G \leftrightarrow \lnot Prov_{\theta}(\bar{G})が証明されるようなLの文Gが存在する。
このとき、ゲーデルの第一不完全性定理は「θが無矛盾であるならば、Gはθで証明出来ない」と表される。これを証明する。
θが無矛盾であると仮定し、さらに、Gがθで証明出来ると仮定する。Gがθで証明可能なので、その証明のゲーデル数nが存在する。nがGのθでの証明のゲーデル数であるということが真であるから、$ Pr_{\theta}( n, \bar{G})がθで証明出来る。したがって、$ \exist x Pr_{\theta}(n, \bar{G})すなわち$ Prov_{\theta}(\bar{G})もθで証明出来る。
しかし、θにおいて$ G \leftrightarrow \lnot Prov_{\theta}(\bar{G})が証明可能なので、同時に$ Prov_{\theta}(\bar{G}) \leftrightarrow \lnot Gもθで証明可能。
これはθが無矛盾であるという仮定に反する。よって、Gはθで証明不可能。これは示したい命題にほかならない。
作中では、上記の証明で用いた述語がそれぞれ
$ Prov_{\theta}(\bar{D}):Dはθで証明可能->「は印刷可能」:(前の文)は紙面に印刷可能
$ \lnot:ではない->「ではない」:(前の文)ではない
$ D \leftrightarrow \phi(\bar{D}):Dの対角化->「の対角化」:(前の文)(前の文)
ここで、対角化は関数の“変数”を取り出す操作に相当している。すなわち前の文章のコピー。
のように対応している。
なお、ここまでの証明は飯田隆「ゲーデルの不完全性定理とタルスキの定理」による
作中の議論は、ゲーデルの第一不完全性定理と似た論理構造
なぜ「印刷可能」か?
print関数だから
なので、物理書籍じゃなくても“印刷”可能
むしろ電子書籍ならより“印刷可能”
“印刷不可能な文章がある”って印刷出来てんじゃん
このツッコミは、Gödelの不完全性定理に対して証明出来てんじゃん、とつっこむのと等価
74頁「可能な文字列というのは〜」
「全ての可能な文字列。全ての本はそこに含まれている。」